「声を出さなきゃだめだよ。日本っていう国は黙ってたらだめなんだ」
南山大学の職員寮で寮母を始めて、人間らしい生活もようやく送れるようになったとき、ある教授からかけられた言葉に、はっと目が覚めた。戦時の空襲被災者への補償を国に求める運動を起こした。「私たちに戦後はない。救ってください」。1972年。敗戦から四半世紀が経ち、杉山さんは50代も半ばを過ぎていた。
南山大学の職員寮で寮母を始めて、人間らしい生活もようやく送れるようになったとき、ある教授からかけられた言葉に、はっと目が覚めた。戦時の空襲被災者への補償を国に求める運動を起こした。「私たちに戦後はない。救ってください」。1972年。敗戦から四半世紀が経ち、杉山さんは50代も半ばを過ぎていた。
1945年3月12日の名古屋大空襲で、百貨店の立ち並ぶ市の目抜き通りは「ぺろっ」と焼けた。真っ白な灰だけが残り、その上をサクサクと歩くと足元はまだ赤く燃えていた。伯父は焼夷弾で火柱になった。骨も残らなかった。
同月24日深夜には自宅に爆弾が直撃。防空壕のなか、首まで土に埋まった。クリスチャンの杉山さんは助けが来るまで、弟と賛美歌を歌った。母は「アーメン」と唱えた。大学病院に収容され、負傷した左目を摘出した。

他国での戦争被災者の援護状況を知るために、ドイツにも飛んだ。ドイツでは敗戦のわずか5年後から、一般市民も含めた戦争被害者に補償が開始されていた。「ドイツにいなさい。ドイツはあなたを見捨てない」と言われた。この機会を名古屋のテレビ局が番組にした。そのときのディレクターが、20年後のいま、社の取締役になっていた。健康な人が一生懸命やればそうなる。私たちは何年経っても同じところにいて、一歩も前進がない。そう感じざるを得ない。杉山さんが声を上げてから40年が過ぎ去っていた。
それでも、寮母の仕事に就いて活動を始めてから、人生は本当に幸せになったという。はっきりとものを言うことを覚えた。そうでなかったら、何も知らないでただ泣いて暮らしていたかもしれない。100まで生きて、戦時災害援護法の制定をどんなことがあっても求め続けないと。だがそれは、空襲被災者の数知れない悲惨な経験と辛い人生、そして死に触れ続け、また多くの仲間を歳月の流れの中に失うことを意味してもいた。
「誰しもが幸せではない」。空襲で頭と顔に大やけどを負い、「化け物」になった少年がいた。家は食べ物商売。客は少年を指差して「あそこのものを食べると、ああなる」と言い、家族は息子を二階の六畳間に「軟禁」した。親が亡くなると兄弟の家に引き取られ、やはり同じような生活を強いられた。ラジオで耳学問をした。身寄りがなくなってからは、病院で便所の掃除夫の仕事を得た。晩年は生活保護を受けていた。一昨年、車に轢かれて死亡した。
空襲によって生活を破壊され、老いてなお貧苦に喘ぐ女性もいた。いつ取り壊されてもおかしくない、トイレもない老朽化したアパートの四畳半の「豚小屋」に、住み続けていた。障害や貧困に苦しむ被害者たちは、表に出てきて語ったり窮状を訴えたりすることがいまだにできないでいる。
生まれて二時間後に火に焼かれ、片脚を切り落とした女性がいる。炎に追われて二階より飛び降りて死んだ青年、業火の灼熱に息絶えた少女、焼夷弾に腹を貫かれた妊婦、彼ら彼女らの姿を目にしたかつての少年がいた。「死んでもついていくから、沖縄に連れて行ってくれ」。日本全国を一緒に行脚した仲間は骨肉腫に侵され、そう言い遺して逝った。存命の戦災傷害者を尋ねゆく映画『おみすてになるのですか――傷痕の民』(林雅行監督、本年7月公開予定)に杉山さんは出演。一軒一軒行く度に、胸が切り裂けるような辛い思いをした。
それでも、私幸せ、と心から思うときがある。一切れの焼き鮭を二人で分けて「お茶漬け食べていかない」と知人が誘ってくれたとき。介護のおかげでゴミの中で暮らさなくて済むと安堵するとき。「私幸せ」と思うと、幸せが寄ってくる。河村たかし名古屋市長が戦災傷害者に見舞金を出すことを決めた。東京大空襲から65回目の3月10日には、戦時災害援護法制定の必要性を国会議員会館で訴えた。
全国の戦争被害者がひとつになって国との闘いを始める日がきっと来ると信じて、あと5年、100まで生きる。
*「戦争と平和の資料館 ピースあいち」(名古屋市名東区)では、開館3周年を記念して特別展「名古屋空襲を知る~いま平和を考えるために」が開かれている(7月17日まで)。
関連企画として今回の杉山さんの講演を皮切りに、今月12日はジャーナリストの前田哲男さんの講演会「空爆の思想」、2004年の沖縄国際大学米軍ヘリ墜落を体験した詩人の大泉その枝さんによる詩の朗読会が19日に予定されている。
*「戦争と平和の資料館 ピースあいち」(名古屋市名東区)では、開館3周年を記念して特別展「名古屋空襲を知る~いま平和を考えるために」が開かれている(7月17日まで)。
関連企画として今回の杉山さんの講演を皮切りに、今月12日はジャーナリストの前田哲男さんの講演会「空爆の思想」、2004年の沖縄国際大学米軍ヘリ墜落を体験した詩人の大泉その枝さんによる詩の朗読会が19日に予定されている。
1 件のコメント:
杉山さんは今回初めてこれほど多くの空襲体験を語られたそうです。
生涯かけて伝えようとする姿を記録してもらいありがとう。
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